働くミャンマー人、日本を開国 母国のクーデター機に介護・製造業へ

日本で働くミャンマー人が急増している。留学生なども含めた在日ミャンマー人の数は1年間で6割近く増えた。クーデターによる国難から逃れようとする若者と人手不足に悩む日本の利害が一致し、製造業や介護の現場を支える存在になりつつある。移民の受け入れに慎重だった日本の「開国」が静かに進んでいる。

東京都港区のローソン東京ポートシティ竹芝店。アウンカウンチョウさん(25)はミャンマーから1年前に来日して日本語学校に通い、週3回この店でアルバイトしている。「ミャンマーは経済が混乱している。アニメも好きなので日本に来ることを決めた」。母国で3月に起きた大地震の被害も心配しており「お金に余裕ができたら寄付金を送りたい」と話す。

全国のローソンで働く外国人は年々増えており、2024年11月時点でアルバイトの14%を外国人が占める。そのうちミャンマー人はおよそ2000人で出身国別で6番目に多い。コンビニ業界を支える貴重な戦力になっている。

10年前の13倍に、徴兵逃れる若者

在日ミャンマー人は24年末に13万4574人と前年に比べ55.5%増えた。10年前の13倍に上る。全体に占める比率は3.6%だが、同じ時期に在日外国人全体の伸び率が8割なのでミャンマー人の急増ぶりは際立つ。

これまでも中国やベトナムなどアジアから経済的に豊かで政治が安定した日本を目指す人は多かった。ミャンマー人急増の背景に21年に起きた国軍のクーデターという特殊事情がある。苦境から抜け出そうと若者の視線は外に向く。

国軍と反対勢力の内戦が続き、外国からの直接投資が減って経済は振るわない。アジア開発銀行によると、24年の国内総生産(GDP)成長率はマイナス0.7%に沈んだもようだ。3月に起きた大地震の復興が滞れば、成長率をさらに押し下げる可能性がある。

反対勢力の抵抗に遭う軍事政権は24年、兵士不足を補うため男性は18〜35歳、女性は18〜27歳を対象に徴兵制を導入した。徴兵を避けようと隣国タイやシンガポールのほか、比較的ビザが取りやすい日本に若者が押し寄せている。

ミャンマー人で特に多いのが働きながら技術を習得する「技能実習」、より高度な能力が求められる「特定技能」という在留資格で働く人たちだ。24年10月現在でそれぞれ3万3878人、2万1981人と国別で特定技能は3位、技能実習が4位になっている。

「おかゆをどうぞ。これは魚だよ」。川崎市の認知症疾患専門病院、かわさき記念病院でメイトゥアウンさん(27)が車椅子に座った女性の入院患者に流ちょうな日本語で声をかけながら昼食をスプーンで口に運んだ。

ミャンマー最大の都市ヤンゴン郊外にある日系企業で3年余り、魚加工の仕事をした後、現地で1年半かけ日本語などを学び、24年12月から技能実習生として介護の業務に携わっている。「介護福祉士の資格を取って日本でずっと暮らしたい」と夢を語る。

この病院はミャンマー人がほかにも8人働く。患者の1人は「介護を受けるのに日本人と変わらないし、抵抗もない」。梶山倫子看護部長も「みんなが認知症のお年寄りに忍耐強く優しく接していてミャンマーの実習生は病院の宝だ」と評価する。

潜在成長力に期待、日本語学ぶ人多く

少子高齢化で人手が足りない日本にとっては不可欠な人材だ。日本は「アジア最後のフロンティア」と呼ばれたミャンマーの将来性に着目し、2010年代に企業が進出したり日本語教育に力を入れたりと投資してきた。日系企業で働いたメイトゥアウンさんのように日本を身近に感じる人が多い土壌がクーデターの前からあった。

アジア各国が成長し、日本が従来のように人を集めにくくなっている事情もある。

兵庫県丹波篠山市でプラスチック成型を手掛けるフルヤ工業では、従業員132人のうち32人がミャンマー人だ。降矢寿民社長は年3〜4回、採用面接のためヤンゴンに足を運ぶ。外国人は以前、ベトナム人だけだったが「現地の給与水準が上がっていい人材が採りにくくなり、19年からミャンマー人も雇うようになった」という。

隣の丹波市に段ボール工場を持つ神崎紙器工業グループもミャンマー人が54人働き、外国人で最も多い。30年以上前から中国人を雇ってきたが、最近はミャンマー人を1年に10人強採用している。

在日ミャンマー人の多くが「故国の情勢が落ち着くまで日本にとどまりたい」(九州の大学で学ぶ学生)と考えている。ミャンマーの混乱は終わりが見えず、結果として日本で長く働いてもらえる人材の供給源になっている。

政府は「移民は入れない」と繰り返す一方で、アジアの労働者を受け入れる制度を次々と導入してきた。技能実習、特定技能、「技術・人文知識・国際業務」の3種類が主な在留資格だ。滞在期間や、転職と家族帯同の可否などが異なる。体系的な移民政策を持たないまま枠組みを拡大した結果、つぎはぎだらけで限界が来ている。

「アジア人は貧しく、低賃金労働でも喜んで働く」という日本人の意識も時代遅れになっている。日本では長く賃金が伸びず円安が続く一方、アジア各国では賃金が着実に上がり、日本の魅力が陰っているのが実態だからだ。

「20〜30年前の外国人は職場に水筒を持って来て節約し、せっせと仕送りしていたが、今の人は飲み物をためらいなく買っていてあまりお金に困っていないようだ」。あるメーカー幹部の印象だ。

近隣で見れば、韓国や台湾が積極的に外国人を受け入れている。関西国際大学の毛受敏浩客員教授は「人材獲得競争に負けないためには移民受け入れで国民の合意をとり、日本語教育を進めるなど外国人の定着に向けた政策を打ち出す必要がある」と訴えている。

出典:日本経済新聞2025年5月11日

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